野田暉行 公式サイト Teruyuki Noda -Official Site-

ささやかで深い体験

ささやかだけど深い体験

野田暉行

 現在どうなっているかはわからないのですが、もう30年以上も前のことになるでしょうか。テレビがタイ国立TVのニュース番組を放送していた時期がありました。冒頭に国歌の奏楽があるのですが、皆さんタイの国歌をご存知ですか。実はその曲はプミポン国王が自ら作曲されたということをのちに知りました。不思議なことにハ長調の短い前奏があり、歌はヘ長調で始まるのです。最後はまたハ長調に戻るのですが、それが実に自然で、何処にも作為はなく心地よいのです。流れるような美しいメロディには心豊かで深い感動を覚えずにはおれません。素晴らしい!

 音律は洋楽なのですが、西洋の概念に、このような転調による構成は先ずありません。チャイコフスキーが弦楽セレナーデでト長調の導入からハ長調の主部に至る転調をしていますが、それは、前楽章の流れから生じたもので、かなり慎重に推移させています。最高の名曲であり、書法的にも完成された彼ならではの手法でしょう。

 タイ国歌との出会いは今までにない幸福を感じるものでした。このような感性の、偉大な国王をいただいた国民に栄光あれ!

 感動の出会い、それは思いがけない時にやってきます。

 中国雲南省、昆明市へ講演に出かけたときのこと、音楽院の新作合唱曲を聴いいてほしいと言われ、学生が歌ってくれました。曲はやはり洋楽的な構成感のものでしたが、響いた瞬間の声は、常日頃耳にしているものとはまったく違った音質と音量と音程感を伴った感動的なもので、指揮をされた誇らしげな先生に賛辞を贈らないではおれませんでした。世界のほとんどの人はまだこの響きを知らないのだと思うと、少し残念に思うと同時に、私だけが知り得た幸せを感じたものでした。

 同じ雲南省の昆明からかなり西にある麗江市で音楽院の先生方と交流した夜、少数民族ナシ族のコンサートを聴きに行こうと誘われ、実は少し疲れていてお断りしようかと思ったのですが、なんだか心が騒ぎ、出かけました。それは有名な学者が企画構成されている定期公演の一夜で、胸騒ぎは的中し、素晴らしい感動が迫ってくるものでした。何人もの鼓弓と琴、笛、数種類の太鼓にキンや銅鑼、金鐘等加えた打楽器群によるかなり大編成の合奏団ですが、殆どは魅惑的な声を中心に進められ、最後が器楽のみによるアンサンブルとなります。その大合奏がほんとうに素晴らしい!現代音楽が陥っている、楽想不足を補う打楽器とは違い、実に深く、どこか怜悧で研ぎ澄まされた響きを伴って押し寄せてくる大きなうねりは、尽きることのない感動でした。その響きを思い出す度に、夜の帳に眠る静かな麗江の街を思い起こさずにはおれません。

 雲南省といえば、思い出したことがあります。(これはテレビの短い番組をたまたま見かけただけなので、どの地方で、どのような民族だったか覚えていないのですが)竹で楽器を作る村があり、その制作過程が収録されていて、非常に興味深いもので見入ってしまいました。竹の打楽器だったと思いますが、先ずト音の調律を行います。それは極めて正確な音律の世界共通のG音で、続いて、ハ音を作る、という具合に各音が正確に作られ、確かホ音を含むペンタトニックが形成されたと思います。そのことも私には驚きだったのですが、さらに驚いたのは。最後に1音、変イ音を加えたことです。どうして?と思うのは我々が間違った先入観を与えられているからでしょう。音楽を聴くと変イ音は重要な働きをしており、彼らにとっては最も自然なことであって、旋律がそれを求めているのです。もう旋律を覚えていないのですが、年を取ると駄目ですね、書き留めておけばよかった・・・

 このように見知らぬ小さな村でこのような音楽を人々が楽しんでいるとは!音楽の本質を目の当たりにした感じです。

 意外なことと言えば、これもテレビのニュースかなんかで数分の放送だったのですが、アフリカのどこか、ケニヤか・・キンサシャだったかもしれません。10人くらいの女声が合唱をして何かを訴えている様子で、日常的なお付き合いの感じの人達ばかり。その声(明らかに訓練されていない)が素晴らしい!多分ご想像いただけるでしょう。洋楽の和音感でありながら大いに民族を感じさせます。いわゆるゴスペル風の曲、即興だったのかもしれません。イ長調の曲なのですが、驚いたのは、丁度、会話で話しが変わるときによくトーンが変わるように、突然、調性が半音上がり変ロ長調になったのです!そこで放送は終わってしまいその後の推移はわかりませんが、ただそれが唖然とする程自然で正確であったこと、おそろしく感動的であったことが深く心に刻みつけられました。片手間に番組を見ていただけなので、気が付いた時は、わからない自分が取り残されているばかり。もう出会えることもないでしょう。

 我々は洋楽を一生懸命やっています。いろいろと磨き、日本人としてのアイデンティティをそこに反映させたいと願っています。しかし世界には思いがけない所で、別の在り方で、音楽を豊かに普通にやっている人達がいる。なんと深い感動でしょうか。殆ど無用のマスコミもたまにはそれを届けてくれます。しかし、この頃音楽会へ行くと、なかなかそうしたことに出会えないのは何故なのでしょう。今や音楽大国を自認しながら、実は音楽が日常のものではなく、音楽家が威張りすぎているのかもしれませんね。

 

 

                      (初出:日本合唱指揮者協会機関誌2018