月刊おんきょう 1968年8月号掲載

クラシック談義 最終回 前衛へのご招待(連載Ⅰ~Ⅲ)

 

Ⅰ.社会と共に変転する音楽

 私のこの談義を終えるにあたって、私は、現代の最も先端的な存在を占める種々の音楽についてお話したいと思います。それらは、一般に、「前衛」と呼ばれています。

 今日、科学の偉大な発達は、人間社会を目まぐるしく変転させ、その行きつくところを知りません。数々の新しい発明や改良が重ねられ、ラジオやテレビは無尽の活躍をしております。音楽も又、それらに無関心でいられる筈がありません。バッハやべートーベンに馴れ親しんだ耳には、「これは、もはや音楽ではないのではないか!」と思われる程の変貌を今日の音楽は遂げているのです。

 ここで、簡単に、西洋の音楽史を振り返ってみましょう。私達の音楽の歴史は、一般にバッハから始まっています。

 音楽の父バッハ—-この名前のなんと伝説的に響くことでしょうか。私達は、彼がまるで神代の住人であったかのように思っています。しかし、彼は、たかだか300年程前の人にすぎません。長い人類の歴史にあって、私達に親しい音楽の歴史は、その近世のほんの一部分を占めているにすぎないのです。もちろんバッハ以前にもすばらしい音楽はたくさんありましたが、それらはその形態や目的等の点で、バッハ以後とは大きな差異があります。どうして、こんなにも近世になってから音楽は新しい発展をとげたのでしょう?その最大原因は、主として産業の異常な発達とそれに伴う開放的な社会改革にあると思われます。バッハが「平均率」を採用したことは、その大きなあらわれといってよいでしょう。もしバッハの合理的科学的精神がなかったら、私達は今、きっと、もう少し遅れた音楽史を見ていたことでしょう。

 バッハ以後の音楽史は、大きく三つに分かれます。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンの古典。ウェーバーに始まってワグナーに至るロマン。そしてドビッシー以後の現代。私達がその最後の世代に属していることは言うまでもありません。そして特に急速の科学の発達を見た私達の世代が、とりわけ多彩な変化に富んだ世代であったとしても、それは不思議ではありません。

Ⅱ.前衛の誕生 へ続く

 

Ⅱ.前衛の誕生

 私達の世代---現代---は、一口にいって、アンティロマン(反ロマン)の世界です。7月号でお話しした今世紀初頭の三大事件は、いずれも、その第一ののろしとして起こったものなのでした。その後の作曲家達は、誰もが、多かれ少なかれ、その方向に向かって仕事を進め積み重ねて来ました。反ロマンの世界は、常に、必然的に抽象の世界を指向します。音楽は、もはや、単なる歌ではなく、人間の抽象的な指向の一つの結果として示されるようになって来たのでした。そして音楽家達は、そこに新しい科学的技術を取り入れることによって、その抽象性を限界にまで押し進めて行くことになります。「前衛」の誕生です。

 ここ何十年かの間、音楽家に最も重要な影響を与え続けた科学的出来事は、おそらく、録音技術の進歩でしょう。エジソンによるレコードの発明以来、それは日夜改良され、今では私達の日常に欠くことの出来ない存在になっています。レコードやテープレコーダの出現は、音楽の在り方を過去とすっかり変えてしまったばかりでなく、音楽そのものを変えてしまったのでした。

Ⅲ.前衛音楽 へ続く 

 

Ⅲ.前衛音楽

 今から20年前1949年、所はパリ。ピエール・シェフェルという一技師がラジオを通じて一つの曲を発表しました。それは、旋律もリズムもハーモニーも---すなわちそれまでの音楽の美しい要素を何も持たない、騒音のように響く一連の音なのでした。これは、ミュージック・コンクレート(具体音楽)と呼ばれる新しいやり方で作られたもので、今までのように、五線紙やペンやインクは一切必要としません。必要なのは、録音機だけ。やり方はこうです。自然の音---虫や鳥の声、あるいは街の騒音---鉄道の工場の、あるいは人の声---叫びささやきすすり泣き、あるいは今まで通りの音楽の音、要するに私達の周囲に満ちあふれているすべての音を一度録音します。そして、それらの音を電気的に色々変質してつなぎ合わせればよいのです。出来上がった作品からは、鼻づまりのように変質された虫の声がするかと思えば突然奈落の底の様な大音響----その後には人の泣き声がため息まじり聞こえるといった具合です。この奇妙な音楽は、しばらくの間アメリカや日本等で盛んに製造されました。しかし今では殆ど行われません。

 かわって登場するのは「電子音楽」です。1951年、ドイツのケルン放送局で誕生しました。生みの親は物理学者のマイヤー・エプラーと技師のエンケルそれに作曲家のアイメルトです。電子音楽は単に録音技術のみではなく、種々の電子音を発生させる発震装置とそれを操作する数学的技術が必要となります。2年後、同じくドイツのシュトックハウゼンが本格的な作品を発表するに至って、この方法は非常に有名になり前衛としての主役の地位を確保し、急速に世界各地に拡がりました。電子音楽スタジオが相次いで建てられ専門の作曲家も増えています。東京オリンピックの開会式の冒頭で鳴り響いた鐘のような電子音楽を覚えておられる方も多いと思います。

 

 さて、電子音楽が生まれたその年、アメリカでは、全く新しいスタイルの前衛が生まれつつありました。ジョン・ケージが「12台のラジオのための作品」を発表したのでした。これは、各ラジオに配された2人ずつの演奏家?が「易」によって決められた方法で、ラジオから出る音を混合するというものです。出て来る音は、その時々のラジオ放送によって決定されることになります。その偶然的性格から、ケージの方法は、「偶然性」あるいは「不確定性」などといわれています。後年、彼が発表した「4分33秒」というピアノ曲ではピアニストはその時間だけピアノの前に座り何もしないで帰ります。その間偶然聞こえた色々の音や現象が音楽だというのです。もちろん、これらの作品は今でも賛否両論を巻き起こし、音楽として定着するには至っていません。しかし、ケージの思想そのものは、徐々に音楽の世界に浸透しつつあります。例えば、現在、多くの作曲家が音符を昔通り固定しては書かずに演奏家の任意すなわち偶然に委ねようとします。6月号でお話ししたグラフィックスコアはそういった音楽のための記譜法です。あるいは、コンピューターの示す乱数表に従って作曲しようとする人もいます。一方、超前衛と称する一連の団体もあります。彼等は、実際にステージ上でピアノの上に寝そべったり、それを叩き壊したりさえもします。

 

 おそらく、多くの人々は、まだ当分の間、これら様々の音楽と名づけられた現象に迷うばかりでしょう。

 

 芸術が全くの自由であるために、誰もすぐに答えを出すことは出来ないのです。

 

 

 

月刊おんきょう 1968年8月号掲載

 

クラシック談義 最終回 前衛へのご招待(連載Ⅰ~Ⅲ) 野田暉行