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音楽とミステリー EQ(ELLERY QUEEN)アトランダム1984年5月号掲載

 モーツァルトのミステリーを巡って(連載Ⅰ~Ⅵ)

 

Ⅰ. 前奏曲にかえて---ミステリーの中の音楽
 ミステリーと音楽の結びつきはそう深いものではない----とまず私は思ってしまうのである。というのも私の推理小説体験の中で、音楽が、心を打つような何かを演じてくれたという印象がまずないからである。

 もちろん推理小説の中に音楽はたくさん登場する。そもそも、かの古典的大御所シャーロック・ホームズ氏は、ヴァイオリンに長じていたようであるし、実際、その演奏が事件解決に貢献したこともあった。何しろ演奏がレコードに摩り替っても人々にわからなかったというのだから相当な名手であったらしい。あるいは、犯人がよほど音楽に無縁な人間であったかだが、どうもこのような話は何か私にはしっくりこない。

 レコードといえば、有名な『カナリア殺人事件』(ヴァン・ダイン)もオペラのレコードがトリックに使われていた。いってみれば音楽は主役であるわけなのだが、これもまた何か今一つ嬉しくない。むしろ読み進む間危惧していたことが解決で現実となってがっかりしてしまったくらいだ。あまりにチャチ。作者の音楽に対する感性が見え透いていて具合が悪い。

『砂の器』ではたしか犯人は作曲家だった。こうして数では申し分ないミステリーの中の音楽も、どうも私には総じてムナしいのである。私がもっぱらクラシック、、、、、派なのでなおさらそうなのかもしれない。何しろ何時いつの時代にもクラシック音楽は人々の苦手、、意識、、の代表選手みたいなもので、作者のほうもすっかり及び腰だからだ。オタマジャクシ的偏見もしくは五線コンプレックス。どうも読んでいても、羞恥心と批判精神に苛まれることしばしばで落ちつかないのである。なかなか音楽を使いこなすプロフェッショナルはいないようだ。

 そもそも音楽そのものがまだまだミステリーなのかもしれない。音楽や音楽家に対するさまざまな偏見(善くも悪くも)は、奇妙なロマンと神秘の中に厚く閉じ込められていてどうしてもそこから出ようとしない。

 そんな中で、一味違っているのは横溝正史氏である。氏の令息、横溝亮一氏は音楽評論家として高名であり、そういうこともあってか、横溝氏の音楽に対する知識は的確かつ充分安心できるものである。『蝶々殺人事件』の音楽に対する暗号譜号等、誰もがやれそうでいて手をつけなかったものであり、それ自体それほど複雑なものではないとはいえ、氏なくしては実現し得なかったであろう。あるいは、『本陣殺人事件』のあのおどろおどろした雰囲気を盛り上げるに充分な箏の仕掛け。ここにも氏の楽器に対する確かな認識が感じられる。こうした何気ないところに表れる手ごたえこそ私の望むものなのである。



Ⅱ.序奏として----音楽の中のミステリー 
 さて、かくも推理小説の中の音楽は面白くないことが多い。せいぜい劇伴程度に脇役として使われているか、作者のペダンティズムの被瀝に終わってしまうかで、音楽本来の力は発揮していないようである。マザーグースのような童謡は別として、音楽をミステリーに同化させるのはなかなかむずかしいことなのであろう。

 といって音楽がミステリー嫌いだなどとは思わないでいただきたい。ほかの芸術と比べて音楽ほどミステリーに近い存在はないのではないだろうか。そもそも、様々な音の高低や強弱、音色等を駆使して人の心に訴えるなどという手段からしてアヤシゲなことであるし、作曲家もまた、それに充分ミステリアスな興味を感じているようなのである。

 イギリスの作曲家エルガーはずばり「謎イニグマの変奏曲」というのを書いている。たしか変奏主題が友人の何かを暗示しているのではなかったかと思うが、このような仕掛けをしようと思えば、いくらでもできるわけである。バッハの絶筆となった「フーガの技法」では、対主題に自分の名前の音化“BACH”すなわち”シ♭ラドシ♯“を出しているが、バッハという人もかなり神秘に凝る一面があったようである。「フーガの技法」はここで、バッハの死により中断しているが、それもまた暗示的だ。この近代科学の目と精神を持った近世音楽の開拓者は、意外にも、終生14という数字に執着し、作品にもそれを反映させたという。

 アルファベットをAから順に数字に置きかえていくと、“BACH”という名前は14という数字になる。また、彼のフルネーム“ヨハン・セバスティアン・バッハ”は古代ドイツ語のアルファベットで逆の41になるらしい。

 数字に限らず、バッハは作品に様々な仕掛けを凝らした。大作「マタイ受難曲」などは、全曲が一遍のミステリーと言ってもよいほどである。この曲のスコアを眺めるとき、私の中には、どんな推理小説を読むよりも楽しい、期待とスリルが広がるのである。

 ところで、先ほどのアルファベットの音化手法は今ではもうすっかりポピュラーなものとなった(小生も使った)。エラリー・クイーンの作品にもこれを使ったものがあるらしいが、出来はいかがなものか?

 こうして書き出せば、音楽の中のミステリーは尽きることはないが、最後にモツァルトの「魔笛」について触れておこう。

 モツァルト最晩年のこの傑作オペラはミステリーの中のミステリーである。何と一幕と二幕で、善の代表と悪の代表がすっかり逆転してしまうのであるから、はじめて見る者にはさっぱりわけがわからない。このドンデン返しが生じたのにはちょっと事情がある。当初予定していたとおり作曲を進めていたころ、商売敵が同じようなものをやってヒットしてしまったため、急遽筋書きを変更しなければならなかったというのである。それにしても、この破天荒な台本にもかかわらず、見終わった後に何の不思議も残らない。まことに天才モツァルトの音楽の力は恐ろしいものである。



Ⅲ. 交響的ミステリー第一楽章
 私の考えでは、おそらくモツァルトなんかほんとうにミステリー好きな人間だったにちがいない。惜しいことに彼の生きたのはいわゆる推理小説のまだない時代で、ポーよりもまだまだ前であるが、彼ならきっと、ミステリーオペラの傑作を残せたであろうにと思うと、ミステリーファンとして、またモツァルトファンとして、二重に残念な思いがする。もし、彼が人並みに生き続けていれば、あるいは「モルグ街の殺人」くらいは読めたかもしれない。が何しろ、三十五歳という若さで死んでしまったのだから、仕方がない。しかし、そのかわりと言っては彼に申し訳ないのだが、モツァルトは自ら、音楽史上最大のミステリーを提供して死んだのであった。

 あまりにも有名なことであるが、モツァルトの死をめぐっては、ずいぶん長い間論争が繰り返されてきた。はたして普通の病死であったのかどうか?彼が入会していた秘密自由結社のフリーメーソンの一員によって殺されたという説も囁かれた。が何よりも有力だったのは、サリエリによる毒殺説であった。

 そもそも作曲家の病気というのはよくわからないことが多い。伝説は往々にして美化されていることがあり、真実を伝えない。音楽という美しいものを作り出す人物にふさわしくない病名を伏せようとする善意を、人々は持ってくれている。シューベルトのチフスは実際は梅毒であったとされているし、シューマンも同様、医学的に証明された。ベートーベンの耳疾もおそらく同じ原因からではないかと言われている。チャイコフスキーの場合は間違いなくコレラだったが、しかしそのあまりに唐突な死に方に、自殺説が出されることになる。

 そして、学問的にはモツァルトの直接の死因は一応腎臓障害だということになっている。が、その原因たる病名となると、医師によって診断はまちまちで一定ではない。そればかりか、どういうわけか、埋葬に出かけた人々は、途中で彼の遺体を放置して帰って来てしまい、誰一人埋葬に立ち会わなかったのである。そして遺体はそれきり行方不明となってしまう。今はただ、空の墓地に記念碑のみが建てられているのである。

 晩年、彼は死の影にひどく脅えていた。のみならず「サリエリに毒を盛られた」と人々に漏らしていたというのである。サリエリ自身、晩年精神錯乱状態となり、それを告白したとも伝えられる。

 アントニオ・サリエリ----十八世紀から十九世紀にかけて令名を馳せ、絶大の権力を振るった宮廷作曲家。モツァルトを生涯のライバルとした。今ではその作品のほとんどは忘れられている。しかし、ベートーベン、シューベルト、リスト等の先生として、そして何よりも、モツァアルトとのこの関係において、未だに忘れられない名前となっている。

 この恐るべき疑惑に注目し、それを最初に作品化したのはプーシキンであった。「モツァルトとサリエリ」と題するダイアローグ形式のその劇詩は、さすが大文豪の作品、2人の交わす会話の中に人間像が見事に浮かび上がり、天才モツァルトに対する凡才宮廷楽長サリエリの嫉妬による犯罪を必然性をもって描いている。リムスキー=コルサコフはこれをそのままオペラ化した。

 プーシキンの劇詩をもう一段推し進めて完全に劇化したのが、ピーター・シェーファーの「アマデウス」である。もちろんプーシキンをそのままモデルにしているわけではないが、内容的に基本は同じものである。これまた見事な台本で、一読するだけでも興奮を覚えるが、近年池袋のサンシャイン劇場で上演され、また原作者も来日したとのことで、記憶に新しい方も多いであろう。劇のすばらしさもさることながら、モツァルトの言うセリフの露骨さに驚かれた方が多いかもしれない。がこれは、シェーファーの創作ではなく、すべて事実なのである。モツァルトの精神はいつも躍動し跳んでいたのであろう。あの音楽のかろやかさがわかろうというものである。きっとそのような精神だからこそ、その死に至るまで人々の想像を掻きたてる神秘に満ちているのであろう。

 

Ⅳ. 交響的ミステリー第二楽章
 さてここに、まさに音楽ミステリーの名にふさわしい一編の推理小説が登場する。題して、『モーツァルトの暗殺』、作者はデービッド・ワイス(西島洋造・訳、立風書房)、一九七〇年の出版だからまだ新しい作品である。もちろんここには密室殺人や名探偵等の道具立ては何もない。しかし、何よりも難事件のモツァルト殺人事件を追って、作者はじわじわと真相に近づいていく。これはやはり本格推理小説なのだ。最初に疑問と客観的事実が呈示され、それをだんだんに証明していくという方法論は、ちょっとクロフツの『樽』を思わせるものである。が私見では、はるかにそれより面白い。というのも、この作品は単なるプロットテラーでは決してなく、あくまで音楽を追い歴史を追い、そして最終的にはモツァルトその人の人間像を追って余すことなく語り尽くす感があるからである。

 この作者、どういう人なのであろうか。きっと、こよなくモツァルトを愛し、また音楽を愛している人にちがいない。このような小説では歴史的事実の間隙を作者の想像----創造で補うわけだが、作者の為人ひととなりによっては限りなく真実に近く豊かにもなれば、また恐ろしいほど事実を歪曲したものともなってしまう。ワイスは明らかに前者である。作品中で交わされる音楽家たちの会話、あるいはそれを取り巻く人々の表情は、いかにもかくありなんと思わせる人間的真実味にあふれている。

 この作品の第一に面白い点、そしてまた成功している点は、主人公にアメリカのアマチュア作曲家を登場させたことであろう。ジェーソン・オティスというこの青年はボストンで銀行員をやっているのだが、師のオットー・マラーからいろいろと話を聞くうちに「モツァルトは毒殺されたのではないか」という強い疑念を抱く。その真相解明のために、妻を連れてはるばる音楽の都ウィーンまでやって来るのである。彼はまた、アメリカ音楽協会から、ベートーベンへの作曲依頼状を託され、それを直接手渡す重要な役目も負っている。時は一八二四年、モツァルトの死後三十年経っているが、当然ベートーベンは健在、モツァルトの妻コンスタンツェも問題のサリエリもまだ生存中だった。小説では特に年代を明記していないようであるが、オットー・マラーが七十四歳間近であること、しかも彼は、バッハの没年に生まれたのを無上の喜びとしていたとあるから、おそらく一八二四年であろう。

 このマラー先生はなかなか大変な先生で、作曲家でもありヴァイオリンニストでもあるのだが、かつてウィーンにいた経験があり、モツァルトの指揮のもとでコンサートマスターを務めて「コシ・ファン・トゥッテ」の初演をやったりしたというのである。そのときモツァルトと交わした会話が生き生きと彼の口から語られるのが、この物語のはじまりである。

 作者のワイスは、プーシキンやシェーファーとはまた違った描写で、ごく何気ない日常会話の中から親しみのあるモツァルト像を浮かび上がらせている。モツァルトが、自分自身を「苦しみもあるし病気もあるし、それにいつも陰謀だ」と語るところは印象的だ。モツァルトとサリエリの、すなわち天才と一凡才の、対等に拮抗し得た政治的背景すなわち時代背景を語ることを忘れない。王室の思想的締めつけの中で、オペラ上演をめぐって起こる数々のいざこざ。子供のようなモツァルトの、それへの対応。うごめく人々。一方また、当時ウィーンでは「毒薬こそ王者」などと言われていたこと。ヨーゼフ帝もまた毒殺されたとの噂が流れていたこと。すべてが、この事件と何らかの因果関係を持っていくのだ。

 物語ではまず、重要な証言者として台本作家のダ・ポンテが登場する---ダ・ポンテはサリエリから台本に必要な毒薬の知識をもらう。代償としてサリエリにオペラの台本を約束する。そこへ来合わせたモツァルト。その三人三様の会話。

 こうして悲劇の幕は切って落とされるのだが、おそらく音楽に関係する人で、いやそうでなくとも、この出だしを読んで興奮しない人はいないだろう。あくまでもミステリーを通して人間を描こうとする作者の姿勢が、この作品を通じて、我々をあたかも音楽史の現実に居合わせるような錯覚におちいらせるのである。

 もう一つ面白いのは、この主人公オティスの置かれた音楽環境を通して当時のアメリカの音楽状況というものが描かれている点である。音楽史にはまだ全く現れてこない時代のアメリカだけに、この作者の空想力は貴重である。ところが、なんとそのアメリカに、ダ・ポンテがいたのである。ロレンツォ・ダ・ポンテ----「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」の台本作者としてモツァルトに不朽の名作を書かせた彼は、たしかに後年アメリカに渡っている。ニューヨークでオペラの仕事をしたり、コロンビア大学でイタリア語の教師をしたりしたらしい。九十一歳まで生きている。かなり金に執着する人生であったようだ。

 さて、オティスはまずニューヨークでそのダ・ポンテに会う。ところが、ダ・ポンテはサリエリへの中傷を認めないばかりか、「マラーはかたり、、、くさい」とすら言うのだった。そして別れ際に忠告する「ウィーンには、あなた方の疑っている事実が立証されれば、危害を受ける人間が何人もいる。あなた方も危険な目に遭うかもしれない」と。たしかに、旅は、ダ・ポンテの忠告どおりのものとなっていくのである。

  


Ⅴ. 交響的ミステリー第三楽章 
モツァルトを知る人々を辿りつつ、まずロンドンを訪れて情報収集をしたオティスは、いよいよドーバー海峡を渡り、ヨーロッパ大陸に入っていく。ここまで読み進むころ、我我はもう完全に十九世紀の人間になっている。この時代のこのような緻密な旅行記というのも、なかなかお目にかかれないものの一つだ。マンハイムで不思議な御者ハンスを雇った彼らは走ること数日、ついにウィーンに到着する。ここからいよいよ、様々な人物と事件が綾なして、一つの結末に向かって進んでいくことになるのだが、それを追うのはやめよう。ただ、彼らが事実に迫り、それを知れば知るほど、見えない手が彼らに迫り圧迫を加えていくのである。

 各人物と事件の力学関係はなかなかよく設定されており全く破綻がない。いわゆる推理小説で最も問題となる動機の必然性が無理なく企てられているために、各事件の現実感はきわめて高いものとなっている。これは大変な作業だったのではないだろうか。歴史的事実の照合と整理。そこに作者の考えと構想を絡ませる。さらにそこで事実との関連の整理。そして肉付け。という何重もの段取りが必要になるという点で、一般の創作ミステリー以上にむずかしい仕事だったにちがいない。肉付けの時点でも、たとえばセリフ一つ矛盾を来たせば、全体の現実感は一挙に失われてしまうものであり、さらには歴史を冒涜することにもなりかねないおそれがある。全編五百三十九ページに亙るこの大長編が見事に拮抗し合った寄せ木細工のように組み立てられていることに、あらためて感心しなおしているところである。

 そしていよいよ、オティスの重要な任務であったベートーベン訪問というハイライトが来る。三十歳ごろから耳が遠くなっていったベートーベンは、会話をするのにメモ帳に書いてもらうという必要があった。それが今日ベートーベンの会話帳として、ベートーベン研究の貴重な資料となっているのは周知のとおりである。ただこれは、あくまで会話の相手方の発言のみが残されているわけで、ベートーベンが果たしてそれにどう答えたかは、想像で補うほかないわけである。その会話帳に、実はちゃんとサリエリのモツァルト毒殺についてのくだりが出てくるのである。弟子のシントラーと甥のカールが話したものであるらしい。

 一八二四年というと、ベートーベンはちょうどあの第九交響曲を完成、初演したところで、晩年の円熟期の絶頂であった。この年はほかに作品はない。ロシアからの弦楽四重奏曲の依頼を受け構想をあたためていたころだろう。オティスの携えたオラトリオ作曲の依頼を、彼はボストン音楽協会の予定額より百グルデン高い五百グルデンで引き受け、年末には渡せるだろうと約束する。ベートーベンというと、気むずかしいいわゆる芸術家気質の勝手な人格ということになっているが、それはロマンティックな伝記作者のデッチ上げで、実際にはよく笑い、よく喋る、頑固だが人のよい人間だったようだ。彼はまた、美しい女性はもちろん、顔のよい男性客が来ると上機嫌だったそうで、この作者が忘れずそれを取り入れているのは面白い。モツァルトやサリエリの話を充分聞いたオティスたちは、最後に現代作曲家の中で最も注目すべき人物としてシューベルトの名を知らされる。そして早速シューベルトを訪問している。

 官憲に監視されていることを意識しながら、彼らはさらに、モツァルトの妻コンスタンツェ、その妹のゾフィ、姉のアロイジァ、モツァルトの実姉であるナンネル、モツァルト行きつけの料理店主であったディーナー、モツァルトの曲を初演した経験を持つ歌手ゴットリーブ等を次々に訪問し、サリエリへの疑惑を確固たるものにしていくのである。

 年は変わり、アメリカをたってから一年、彼らの身辺には、ついに直接的な身の危険を感じさせる出来事も起こり始める。事は急を要する。そんな中で、いよいよ、密かに手を回して頼んでおいたことが実現する。この物語のクライマックス、サリエリとの面会である。病院に半ば監禁状態で生き続けていたサリエリとの一問一答には、思わず息を呑まずにはおれない。ミステリーファンの仁義に従ってこれ以上書くのはやめておこう。

 彼らがサリエリと会って数日後、サリエリの死亡が知らされる。一方、ベートーベンからは、体調悪くオラトリオは作曲できないとの連絡が届く。長いこの物語もこうして結末を迎えることになり、ヨーロッパ滞在のすべての予定を終えたオティスたちはアメリカへの帰途に着くのである。彼らを乗せた定期船はドナウ河を下っていく。そして・・・・・

 


Ⅵ.コーダとして
前にも述べたように、この物語は当時の時代背景なしには成立し得なかっただろう。たとえばベートーベンの死後、彼の遺品が競売に付されたとき、愛読書であった、フェスラー(カントの弟子)の「宗教・教会論」やコツェブーの「貴族論」は危険書物としてたちどころに官憲に没収されたという。やがて崩壊していく貴族社会の最後の栄光の時代であったのだ。そういった一文明の末期には、たしかに信じられない出来事が多く起こるものである。

 ところで近年の研究によって、サリエリのモツァルト殺害説は全く根拠のないものと見なされるに至ったらしい。もちろんフリーメーソン説も同様である。どのような論拠によるものか知らないが、とにかくこういった話はあまり学者のお気には召さないようである。といって、モツァルトにまつわるミステリーそのものが解けたわけではない。あるいは、事実は小説より、ほんとうにもっと奇なのかもしれない。それにしても、不滅の名サリエリが、そのことによって消え去る運命となるのかどうか。サリエリ自身も痛し痒しといったところだ。


音楽とミステリー EQ(ELLERY QUEEN)アトランダム1984年5月号掲載        

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